業界(観光業)の課題
シーズンという波
シーカヤックが日本に入って来たのは今から30年ほど前のこと。そこから諸先輩たちの数々の冒険の軌跡と地道な普及活動により全国に普及、現在に至っています。とはいえ、ツアー事業に関しては未だ安定した雇用が確保できるほどのマーケットにはなっていないのが実情です。これについては、時代背景的に海への無関心が広がっているとか、海離れが加速しているとか、現実問題として護岸や埋め立てにより遊べる場所が激減したとか、そもそも日本には長期バカンスの文化がないとか、言い訳や文句の付け所は満載でもありますが、最大の要因はなんといってもシーズン性(四季)があることでしょう。北海道を除く観光地の平均的なシーズンは半年程度。更にハイシーズンは100日程度しかありません。つまり、オフシーズンの方が遥かに長い・・・。
ただし、シーズン性があるといっても、シーカヤックそのものにシーズン性はないので、冬場でもツアーを催行することは可能だし、アラスカ生まれのシーカヤックにしてみれば冬こそが本番となります。が、冬場は水温が低いことや海が荒れやすく中止確立が高いこと。冬用の装備は高額である上に消耗が早いこと。それらに加えてお客さんの絶対数が少ないこと(離島の場合)などの諸事情やリスクを踏まえて、冬場の催行はあえて見送っているガイドも多いです。
また、観光地の特色として、シーズン中は大量の観光客が一気に押し寄せ、シーズンが終わると一気に引いていく。といった津波のような現象が発生しますが、そのため「シーズン中は人手が足りず、オフシーズンは人手が余る」といった問題が毎年勃発します。ここが観光業界全体の頭の痛い問題で、雇用が伸び悩んでいる元凶です。そこで、この問題を根本から解決すべく「都道府県毎や業種毎に休みを変えて人の流れを分散させる」といった政治的な動きもあるようですが、現時点では期待できる話しではありません。また、仮にそうなったとしても、冬が暖かくなるわけではないのでカヤックの業界的にはそれほど大きな影響があるようにも思えません。
したがって、ガイド(シーカヤックガイドに限っては)を続ける限りは「夏場に賢明に働き、冬場を乗り切る」あるいは「夏と冬とで働き方を変える」といった宿命的なサイクルを地道に継続する他なく、「シーズンとどう向き合うか」が個々の大きな課題となります。
不都合な真実
ただ、表面的な部分だけを見れば、確かにシーズン性があることは大きなデメリットです。ビジネス上も大きなマイナス要因だし、ここがネックで諦める人が多いのも事実です。しかし、ここが運命の分かれ道とでもいうべき分岐点であり、発想の大転換が必要なところ。そして、本当の意味での実力が問われるところです。
実はシーズンの波があるからこそツアーは成り立っているのです。仮に一年中常夏だったとしたらどうでしょう。『夏だ、海行こう!』というテンションになるでしょうか。つまり、長い冬があるからこそ、短い夏が輝いて見えるのであり、特別感があるのです。働く側も同様、オフがあるからこそ、続けることができるのです。春を待つ植物たちのごとく、厳しい冬を乗り越えるからこそ、夏が待ち遠しいのであり、オンオフのメリハリがあるからこそ、モチベーションが維持できるのです。それこそ一年中真夏のテンションでやってたら体がいくつあっても足りないし、精神的にもすり減ってしまい、続ける気にもならないと思います。
パラダイムシフト
こうしたことは当たり前すぎて気が付かない部分の一つですが、ガイド業に限らず「自然を相手にする仕事」とは本来そういうものです。季節の変化に合わせて暮らし方を変え、働き方を変える。それが自然なのであって、逆から見れば、年中変わらない暮らし、変わらない仕事の方がむしろ不自然なのです。便利で快適な現代の暮らしに慣れ過ぎてしまうと理解に苦しむ部分でもありますが、それが「自然と共に生きる」ということの本質であり、ガイドという職業を選択するに至る、生き方の根底にある部分です。
つまり、ガイドを続けられるかどうかは、その仕事が向いてるとか向いてないとか、できるとかできないとかいう以前に、「四季の変化や自然の恵に感謝する暮らし」を望むか否か。あるいは、「自然の中で生きて行くための実力や、自然と共生していくための感性」を身に付けたいと思うか否か。あえて極論するなら、「便利で快適だけど変化のない暮らし」を選ぶのか、それとも「不便だし不安定だけど変化のある暮らし」を選ぶのか。「矛盾に身を任せて生きるのか」それとも「生きものとして生きるのか」そこが分岐点でもあり、出発点でもあるということです。
かくいう私も、かつて都会のビルの中で働いていた頃には、自然相手の仕事ほど不安定なものだと思っていました。ところが、島に来てから、そして「311」を期に、それまでの常識や価値観は完全にひっくり返ってしまった。全てがマネー依存の都会はインフラが寸断された時点で為す術を無くす。しかも、食べものを奪い合うような醜い事態にまで発展してしまう。対して、田舎はなにがあってもとりあえずは食べていける自然があり、分け合う風土がある。「どうすることもできない都会とどうにかなる田舎」ここがお金に換算できない田舎の真の豊かさであり価値です。言い方を変えれば「マネーを軸にする暮らしとマネーを軸にしない暮らし」の違いがある。
つまり、田舎の暮らしは不安定なように見えても、土台は揺るぎなく安定したものだということ。尽きるところ、「本当の豊かさとはなにか」そこを真剣に考えることからこの仕事がじまっているのです。さらには人口減少が進み、経済がどんどん縮小していく時代において、子どもたちが生きる「22世紀型の暮らし」とはいかなるものか。そこを真剣に考えるところからこの仕事がはじまっているのだと思います。いずれにせよ、新たなパラダイムに挑むためには、これまでの常識や既成概念を根底から疑ってみることからはじめなくてはなりません。