コラム仕事と生業

籠田舎には本業の他にも実にたくさんの仕事があります。また、仕事には人に与えられる仕事もあれば、自らつくり出す仕事もあります。生きるために仕方なくやってる仕事もあれば、好きでやってる仕事もあります。さらに、お金になる仕事もあれば、お金にならない仕事もあります。じゃあ、仕事ってなんなんだ。

ここで今一度「仕事と生業の違い」について整理しておきましょう。

仕事と生業

まず「生業」とは、生きていくための糧であり、お金を稼ぐための手段です。対して「仕事」とはお金とは直接的に関係のない無益の活動です。未来をつくる活動と言ってもいいでしょう。農業で例えるなら、田んぼを耕し、米をつくり、それを売ってお金に換える。これは生業。対して、荒廃した土地を耕したり、草を刈ったり、傷んだところを手入れしたり。といった作業は米づくりとは直接的な関係のない非生産的なものです。生理的かつ本能的なものともいえます。しかし、こうした作業により景観が美しくなったり、気持ちよかったり、心がすっきりしたりする。こうした活動が人間本来の「仕事」なのだと思います。

美術や音楽などの芸術活動も同様。これらは無くても生活になんら支障はありません。無駄と言えば無駄だし、直接的な利益を産み出すわけでもありません。要するに無益です。けれども、それによって心がほっとしたり、楽しい気分になったり、豊かさを感じる瞬間がある。そして、手から生み出したものが誰かの心に響いた時、「いい仕事してるね」となり、優しい笑顔が返ってくる。こうした自分ではない誰かの笑顔をつくりだす創造的な営みこそが「仕事」と呼べるものだと思うのです。

未来をつくる仕事と今を生きるための仕事

ところが、便利さや効率、利益や生産性を追い求める現代社会において、この二つは非常に曖昧なものになっている気がします。それどころか生産性のないものはダメだ。と言わんばかりの風潮さえ感じます。しかし、かつての日本人は誰もが仕事と生業の二つを持っていたといいます。仕事と生業。置換するなら、やりたいことと、やらなければならないこと。未来をつくる仕事と、今を生きるための仕事。この二つを家族や社会全体が理解し容認していた。よって、子どもたちは遊びの中から得意なものを探し出すことができたし、それを活かして仕事にすることもできた。手先が器用な子は大工になったり、計算が得意な子は商人になったり、人を笑わせるのが好きな子は役者になったりした。わざわざゆとり教育なんかしなくっても、自らの歩む道を社会が育てる気風があった。高度経済成長が始まる前までは・・・。

また、こういうことを言うと、なに悠長なこと言ってるんだ。とか、時代が違うんだよ。などと反論も返ってきそうですが、そこを理解することでその人の個性が見えてくると思うんです。同時に優しい眼差しも生まれると思います。あの人は遊んでいるように見えて仕事してるんだよ。とか、あの人は仕事しているふりして遊んでいるんだよ。とか、違いが解る大人になる・・・。つまり、仕事とはその人の人間性そのものであり生き方です。対して生業は社会における義務や責任を果たすための手段。似ているようで別物だということです。

棚田
美しい里山の景観は日々の手入れ作業の賜である。