歩み Dreaming

DREAMISLAND WEB

2016年[春]おかげさまで創業10周年

とはいえ未だ海面スレスレを低空飛行中。いつになったら風を捕まえられるのか・・・。
でも、カヤックじゃ空は飛べないから地道にコツコツがんばろ。

 

DREAMISLAND WEB

2015年[春] ロゴタイプ&ホームページを一新

創業10年目の決意も新たに、ロゴタイプ及びホームページをフルリニューアル。

dreamisland

新ロゴはカヌーをモチーフにしたデザイン。シーカヤックではなく、カナディアンだけど、よしとしよう。

2014年[夏] 「米づくり」 はじめる

中山 千枚田

高齢化と後継者不足により、年々休耕地が増え往く千枚田。
このままだと里山の風景は消えちゃうかも。誰かがやらないと終わっちゃうかも・・・。
というわけで、棚田の休耕地を貸してもらい、自分たちで米づくりをはじめる。
ただ、休耕地が増える本当の理由は高齢化ではない。「儲からない」 が一番の理由だ。
よって、「儲かる楽しい仕組み」 にしなければ、里山の未来はない。
一次産業全般に足りないものは ①マーケティング、②経営、③技術革新。
と、養老孟司さんの本には書いてある。実行あるのみ。

2013年[春] 「瀬戸内国際芸術祭2013」

小豆島の家

2回目の芸術祭。中山地区には前回と同じ 「王文志」 さん率いる台湾チームが来日し、再び地域との協働制作。僕たち(こまめ食堂チーム)は主に賄い担当。写真はLED仕様の 「小豆島の光」七色の光が幻想的な風景を描き出し、「風の谷のナウシカ」 に登場する 「王蟲」 みたいだった。ファンタジックな作品と素晴らしい時間をありがとう。

王文志王さんに手作りしてもらった竹のコップ

こまめ食堂

2011年[春] 『こまめ食堂』 リニューアルオープン

芸術祭の閉会と共にお店もクローズ。でも、がんばってつくったのにもったいないし、寂しいなぁ・・・。というか、芸術祭の本当の目的は、お祭り騒ぎをすることではなく、地域を知ってもらい、賑わいを創り出すための 「きっかけ」 をつくることじゃなかったか? イベントじゃダメなんだ。いつもが大事なんだ。継続することが力なんだ。というわけで、大幅な改善を加えてリニューアルオープン。

2010年[夏] 『こまめ食堂』 オープン & 『瀬戸内国際芸術祭2010』 開幕

こまめ食堂改装おにぎり定食こまめ食堂

はじめての芸術祭に、はじめての飲食店。なんの経験も無く、ど素人からのスタート。無謀だ。インフラも無い田舎の田んぼに人が来るわけないだろ。などなど厳しいご意見を多数頂戴した。おまけに飲食のプロにまで絶対に失敗する。と烙印を押される始末。それでも半年がかりの人事で6名のスタッフを雇い、約3ヶ月の死闘の末、開幕前日になんとかオープン。と、そこまでは良かったが、案の定お客様は来なかった。さらに、自己資金が底を突き、絶体絶命のピンチ。極度のストレス。天を仰ぐ日々が続いた。

失敗の原因は薄々わかっていた。棚田の米を使ったおにぎりを提供したくてはじめたお店だったが、オープン当初そのおにぎりがなかったのだ。「30℃を超える真夏に、しかも空調設備の無い店舗でおにぎりは不可能だ!」 と、プロに釘を刺されていた。実際プロの言う通り、おにぎりはすぐ傷んだ。このままでは出せない。食堂は中途半端なカフェに成り下がっていた。開き直って原点回帰。「おにぎり」 を研究した。試行錯誤を重ねるうち、おにぎりはだんだんおいしくなった。そしてついに、味が落ちない(傷まない)方法論を編み出した。店に行列ができるようになっていた。

助けてくれたのは地元のおばちゃんたち。そして昔から続く 「知恵」 という技術だった。その方法論はプロとは真逆の思想だった。プロの指導は失敗しないための方法論であり、おいしさを引き出す知恵と手間暇をかけることの目に見えない真心が欠けていた。田舎の味とは効率ではなく手間暇なのだ。そして田舎には素晴らしい食のプロ(主婦)がたくさんいることにも気が付いた。知恵を学ぶことの大切さを知った。加えて、人は失敗を恐れるが故に失敗するのだ。ということも。県の芸術祭の目標来場者数は10万人であったが、終わってみれば90万人を超えていた・・・。燃え尽きた・・・。

瀬戸内国際芸術祭 準備

2009年[春]『瀬戸内国際芸術祭』 準備はじまる

芸術祭の総合ディレクターである 北川フラム さんと出会い、ビジョンが共鳴。
小豆島における地域コーディネーター役となり準備がはじまる。
とはいえ、前例も無ければ予算も無い。行政も手をこまねく壮大な計画だった。
ないないづくしでの挑戦。あるのはビジョンのみ。という前代未聞のプロジェクト。

闇の中を手探りするような日々。無茶苦茶だったが、おかげで精神を鍛えられた。

DREAMISLAND WEB

2008年[夏] シーカヤックツアー開始

「小豆島ふるさと村」 様のご厚意で 施設内に海の事務所を開設。シーカヤックツアー開始。合わせてホームページも開設。結果、来店数初年度半期で40名。2年目400名。3年目800名。4年目1000名を突破。が、800名を超えたあたりからお客さんの顔がだんだん見えなくなり、そこにストレスを感じ始めた。このままじゃダメだ。縮小しよう。「ええかげん」 (良い加減)という感覚を知る。

2007年[秋] ツアー事業開始

小豆島を歩こう

創業して最初に取りかかったのは 『島の暮らし伝える情報サイト』 の制作だった。しかし、一年ほど経過した時点でサイトはゴミ箱行きに・・・。サイトの目的は外から見えない島の暮らしを見えるようにすることと、目的(検索)に最短で辿り付ける情報網を構築するることだった。それがWEBマーケティングの王道だからだ。完全に都会的なセオリー通りの発想だった。

しかし、「情報の可視化」 は便利さと引き替えに、来る者の 「想像力」 を奪うのではないか。という疑問を感じ始めた。それよりはむしろ、「見えない」 方がおもしろいんじゃないか。そもそも島は 「未知なる世界」 だからこそおもしろいんじゃないか。つまり、 「わからない」 というのが最高の価値であり、「なんにもない」 ことが最高の魅力なんじゃないのかと気が付いたのだ。

更に、風の心地良さや爽快感。海の匂いや旬な食材の味覚。そうしたものは五感でしか感じることはできない。また、他者を伝えることよりも、自らの体験を直接伝える方がおもしろいコンテンツになるのではないか。あるものを再編集することよりも、自ら新しいモノを創り出すことの方が、よっぽどおもしろいのではないのか。という結論に辿り付き、情報サイトはあえなくゴミ箱行きが決定!島を直接伝える手段としてツアー事業を開始する。 → 記念すべきツアーパンフレット。

2007年[春] 法人設立

NPO法人DREAMISLAND 設立 香川県認証

立花律子 小豆島に集まれ

2006年[冬] 立花 ブログを書き始める

独立したはいいが、仕事もなく、電話も鳴らず、事務所の中には閑古鳥。
立花、苦し紛れにブログを書き始める。が、仕事がないので書くことがなかった・・・。

立花律子の小豆島ブログ → 小豆島に集まれ!たくさんの笑顔たち。

事務所

2006年[秋] 創業

連河と立花の進みたい方向性や考え方が似ていたことから、二人で会社を創業。
サビサビのプレハブ事務所を自分たちで修復して事務所を設立。
会社名を 「DREAM ISLAND」 とした。

DREMISLAND

ところがドメインを取得しようと、ネットで名前を検索してみたところ、
出て来た名前は、夢の島、ゴミの島、埋立地、その他、怪しげな風俗店などがズラリ。
ゴミ、風俗、埋立地・・・ た、たしかに DREAMISLAND とは世間離れした怪しい名前だ・・・。 → 社名の由来

事務所は雨風凌げる屋根と壁だけあればOK!というわけでこのプレハブ倉庫からはじまった。夏サウナ、冬冷蔵庫。前の道をダンプやバスが通ると激しく揺れていた。

2006年[夏] 連河、島に渡る

小豆島フェリー

連河:2006年初頭、突如「ITバブルで会社が弾ける」という人生二度目の悲劇に遭遇。
(一回目は札幌での不動産バブル。この時は北海道のメインバンクがぶっ飛んだ!)
苦悶の果て、全ての家財道具を捨て世捨て人となり、トランク一丁で旅に出る。
半年後、偶然高松港から乗ったフェリーの甲板の上で、ふと直感が閃く。
一ヶ月後、「マイ事業計画書」 を書き上げ島に渡る・・・。

モンキー