シーカヤックの歴史 History of Seakayak

シーカヤックのルーツと歴史

旅する動物 Homo Movence

かつて人々は今よりもっと自由な方法で海を旅していた時代がありました。太陽を敬い、月を崇め、風に尋ね、鳥たちと語らいながら自由自在に海を渡り歩く。漁撈や狩猟の暮らしにおいて、海を往くことは日常でした。海を渡るために石器で木をくりぬいて丸木舟カヌー)をつくりました。そして、食べものがたくさんある場所を探してどこまでも旅をしました。そうした暮らしは「農耕」という新しい文化がもたらされる弥生時代まで続きました。現代に至るまでの暮らしを数字で示すなら、狩猟生活30万年、農耕生活2000年、そして農薬を使った現代農法50年。つまり、人類史で見れば人間の暮らしの99.9%は狩猟生活です。

また、稲作がもたらされる弥生時代まで、人間には「土地を所有する」という概念はありませんでした。よって、たいした争いごともなく、たべものがなければ移動するといった具合に、豊かな環境を探してどこまでも歩きました。時に地球規模の寒冷化や温暖化に適応して遠くまで移動することもありました。南はミクロネシアを抜けポリネシアまで。北は黒潮に乗りカムチャッカからアリューシャンを抜けアラスカ、そして南米まで。各々がお気に入りの場所を見つけて暮らしました。各地の沿岸から土器が発掘されていたり、神話が残されていることが彼らが歩いた証しです。

彼らにとって海は庭のような身近な存在でした。現代の常識では考えにくいですが、時には5千kmや1万キロも移動することがありました。羅針盤や六分儀など無くても、自然の中のあらゆる現象から天気や風、方角を読むことができました。実際、今でもポリネシアの人たちの中にはそうした感覚を持った人たちがいますが、彼らにしてみれば6千キロ離れた日本は「ご近所さん」という感覚です。したがって、縄文時代の人たちはそれを凌ぐ鋭い感覚や知恵を持っていたのだと思います。ともあれ、カヌーは人類拡散の道具でもありました。そして、それぞれの環境に合わせて独自の進化を遂げていきました。

ネイティブ Native

例えば南東アラスカからカナダのブリティッシュ・コロンビア州にかけての約1500kmに及ぶ内海航路(インサイドパッセージ)の沿岸部には、日本人と同じモンゴロイドの先住民族である「ハイダ」や「クリンキット」などのネイティブ・インディアンたちが暮らしていますが、そこでは豊富な樹木を利用したカヌートーテムポールなどの独自の木の文化が生まれました。トーテムポールはいわゆる死者を祀るためのお墓でもありますが、永遠を意味する石の文化ではなく、輪廻して自然に帰る木の文化です。こうした文化は日本文化にも通じるものがありますが、クリンキットの神話の中には祖先は日本から来たという伝説が残されていたりもします。 総じて彼らの生活様式は、かつての日本もそうであったように、人と自然とが渾然一体となった自然環境に生活様式を順応させるネイティブなスタイルでした。現代は生活様式に合わせて自然環境を造り変えますが、それとは真逆の思想です。

カヤックの起源 Origine

シーカヤックのルーツはそこから西や北へ移動した、アラスカでも最も厳しい環境であるべ-リング海沿岸やカムチャッカに連なるアリューシャン列島、及び北極海沿岸やグリーンランドにかけての島嶼で暮らす、同じくモンゴロイド系の先住民族であるイヌイット※1やアリュート(ウナンガン)たちが考え出した「皮舟」が起源です。皮舟とは文字通り動物の皮を張った防水構造の舟ですが、その舟に乗ってタラやオヒョウなどの魚、アザラシやクジラなどの海獣を狩猟して暮らしていました。

バイダルカ
狩猟及び海上輸送として発展したアリュート(ウナンガン)のバイダルカ。現代に至るシーカヤックのルーツである。

海獣たちに近づくためにはなにより静かさと速さが必要でした。同時に寒さからも身を守る必要がありました。氷のように冷たい海での転覆や水濡れは「死」を意味します。そこで、濡れや寒さから身を守るため、舟の中に下半身をすっぽり入れるカヤック独特のデザインを考え出しました。加えてベーリング海は「低気圧の墓場」とも呼ばれる荒涼とした場所であり、風が吹くと想像を絶する強力なうねりが発生する世界でも有数の航海の難所。そこで考えたのが動物の「関節」にヒントを得た、柔軟性のある「しなる」舟でした。海で最も大事な性能、または強さとは、衝撃を吸収する「柔らかさ」です。また、ベーリング海一帯は濃霧が覆い晴れ間はほとんどない土地であるため、樹木や野菜などが育つ環境ではありませんでした。つまり、カヌーをつくるための木がなかったのです。そこで、セイウチやクジラの骨、流木を拾い集めて、クジラヒゲなどで結び連結させて骨組みをつくり、そこにセイウチの皮を丁寧に縫い合わせて全体を覆う防水構造の舟を発明したのです。アリュートの人たちは外科医のような高度な縫製技術を持っていました。総じて極限の厳しさが、歴史上最も高度で洗練されたカヌーを創造したのです。

大いなる循環 Gaia

ではなぜ、彼らはそれほどまでに厳しい環境を選らんだのか。それは、そこが豊穣の海だったからです。カヌー発祥の地に共通しているのは、いずれもそこが豊かな海であったということ。アリュートの人たちが暮らすベーリング海にはユーコン川が、イヌイットの人たちが暮らす北極海にはマッケンジーが流れ込んでいます。数千キロの大陸を横断して流れ込む川が、ミネラル分をたっぷりと含む水を海に注ぎ海を豊かにします。このことは、世界の三大漁場と呼ばれる場所も同じです。その一つ、カナダ・ニューファンドランド島の沖合グランドバンクスにはセントローレンス川が、そして日本の三陸沖にはオホーツク海を超えてアムール川の栄養分が海流によって運ばれていることが最近の調査で明らかになりました。川が運ぶミネラル分が海の植物を育て、植物たちが孵卵器となり魚たちの命の育む。そこへ豊富な魚を求めて世界中から海獣たちが集まってくるのです。つまり、極北の大地は氷の沙漠でも、海の中はパラダイスだったというわけです。

また、ネイティブな暮らしを続ける彼らにとって、海獣たちは大切な仲間でもありました。特に、野菜や穀物が育たない極寒の地において、海獣の肉は生きていく上での主となる糧であると同時に、唯一のビタミン源。つまり、海獣は生きていく上での運命共同体でもあったのです。だから無駄な殺戮はけして行いませんでした。一頭の海獣は一家族数ヶ月分の食糧になりました。油脂は火や明かりを灯す燃料になり、皮は防寒服や防寒靴に、内臓は防水服や浮き袋に、骨は釣り針や銛などの狩猟道具に、そして全ての技術を応用してカヤックにもなりました。その舟に乗って数千年に渡り変わらない暮しを続けていました。

カヤック文化の終わりと始まりRenaissance

ところが、結果的にアリュートの人たちは狩りが上手であったことが仇となり滅びました。侵略戦争がはじまるとロシアやヨーロッパから毛皮の商人たちがやって来て強制狩猟を強いられました。ラッコの毛皮は貴婦人たちに人気がありました。そして海獣たちの油脂は遠く離れた都会の夜を照らす燃料に使われました。ラッコを獲るために大量のカヤックが必要となり、カヤックをつくるために大量のセイウチが必要となりました。皆殺しがはじまりました。そして海獣たちを獲り尽くしたころ戦争が終わりました。絶滅に瀕したものもいました。そこに追い打ちかけるように移住者たちが持込んだ伝染病により先住民たちは壊滅状態となり、民族の魂は滅びました。アリュートたちが数千年にわたり育んできた文化はこうして時代の闇の中に葬り去られたのです。

時代が変わり、そのカヤックを復元する人が現れました。「ジョージ・B・ダイソン」 ※2 というエコロジストでした。ジョージの父は世界的な宇宙物理学者の権威であり、人類の宇宙移住を夢みた「フリーマン・ダイソン」という人です。(宇宙船は原子力の爆発エネルギーで進むため、元となる原子力を開発した)しかし、父に反発したジョージは16才の時に家を飛び出し音信不通となります。放浪の旅を続け、やがてカナダ北西部の沿岸集落で暮らしはじめました。そこで彼が没頭したのがアリュートたちのカヤック文化を復元することでした。そしてジョージの手によって復元されたカヤック(バイダルカ)は、60年代後半から沸き起こった反戦運動を背景にしたカウンターカルチャーと混じり合いながら、そこからカヌー文化が蘇りました。

ヒッピーとアウトドア Hippe & Outdoor

カヌー文化が蘇生しはじめた60年代の後半から70年代にかけて。時代はベトナム戦争を発端とする反戦運動の真っ直中にありました。文化や思想、芸術といったものは、いつの時代も抑圧された中で生まれますが、この時代は多くのカウンターカルチャー(対抗文化)が生まれた時代でもありました。巷ではビートルズボブ・ディランなどが先導役となり、アメリカを中心に世界中を巻き込みながら「ヒッピー文化」が沸き起こっていました。それらは正義無き不毛な戦いに対しての抵抗であり、平和主義を貫く東洋思想と融合した自然回帰運動でした。

平行してヒッピー文化は「ミニマリズム」(持たざる暮らし)という思想を生み出し、そこから新たなライフスタイルを模索する若者たちが登場しました。例を挙げるならアップルコンピューターの「スティーブ・ジョブス」もその一人です。そしてミニマリズムの実践の場として荒野を彷徨うものたちが登場し、「バックパッキング」という新たなスタイルが誕生しました。アウトドアのはじまりでした。即ちヒッピーの影響を受けたアウトドア文化とは、旧態依然のブルジョア的社会に対する若者の抵抗手段であり思想でありました。

偏ったイデオロギー、侵略戦争、先の見えない政治、行き過ぎた資本主義、生態系を無視した乱開発に大規模な公害に人権問題。そうした様々な諸問題が複雑に絡み合い、エコロジーという思想やミニマリズムという概念が生まれ、その延長線上にアウトドア文が生まれたのです。その後、新しいライフスタイルを求めたはじめたヤッピー(yuppie:young urban professionals)たちは自然豊かな郊外に移り住むようになり、北米を中心にカヌー文化は広がっていきました。そして80年代に入ると日本にもカヌーが輸入されるようになり、現在に至っています。

遙か昔、小さな小舟で洋を渡った人たちがいて、時空を超えて再び日本に戻ってきた。つまりシーカヤックとは数十万年の時を経て日本に帰化した、日本人が忘れかけた海洋文化を復興するためのタイムマシーンなのです。

Text : Kenji Renkawa