Outline
「備讃瀬戸」の島々を自らの五感と想像力を駆使して渡り歩く3DAYS。目標漕行距離は約100km。一日平均8時間のパドリング。時に凪の海あり、時化の海あり、瀬戸の激しい潮流あり、そして魂を揺さぶる未踏の光景ありの変化に富んだ苦楽の旅路。
どこまで行くか、どのルートで行くかは勇気と想像力と時々の天候次第。西の空に陽が沈みかけたら人知れぬ無人島にて慎ましく露営をさせていただく。どんな場所が最適か。飯を炊く薪はあるか。今晩から朝方にかけての風はどうか。安全で快適な寝床を見つけ出すことも旅の重要な仕事だ。食事は完全自炊のセルフメイド。自分にできることは自分でやる。それが第一のルール。加えて、何が必要か。準備も旅の一つ。そしてないものは分け合う、助け合う、支え合う。これが第二のルールである。
天候に恵まれ笑顔で終始する旅もあれば、悪天候に耐え忍ばなくてはならない過酷な旅もある。されど、終着地に辿り付いたその時、言葉にならない達成感と共に、心の筋肉が一回り大きくなったような痛快な笑いがあふれ出すことだろう。賞賛するものは誰一人いないかもしれないが、日に焼けた肌と手にうっすらと滲んだ血豆がなによりの自分への勲章である。自分を超える旅へ。
Concept
瀬戸内 3DaysKayaking は海を旅する真の喜びと、生きた深い学びを得るための冒険塾。従来のツアーと大きく異なる部分は、森羅万象から風を読み、潮を読み、進むべき航路を見極める。といった本来はガイドが担うナビゲーションや状況判断を、ゲスト自らに体現してもらうことで「生きた学習の機会」を提供するという部分。つまり、どこへ行くか、どこまで行くか、どの道を辿って行くか。といった航路を決める主体はゲストであり、ガイドは安全を補佐する最終ラインの羅針盤。これにより真の学びとおもしろさを提供すると共に、引いては現代に生きる我々日本人が忘れかけた、海洋民族としての感覚やプライドを取り戻す。という試み。
反省を込めて言えば、これまでのツアーは全てがお膳立てされた、娯楽集約的なものを追求してきました。これにより、ゲストはなにも考えずに旅を楽しむことができます。しかし、これでは海を旅する本当の喜びや感動を伝えているとは言えないのではないか。なぜなら、海を渡り歩くための状況判断や航海術の奥義といった最もおもしろいクリエイティブ部分は全てガイドが行っているからです。つまり、ゲストはガイドが通った道を辿る追体験に過ぎず、目に見えない大切な部分は伝え来なかった。というより、経験でしか伝えられない世界があるのです。
海旅本来のおもしろさとは、広大な海を自らの判断と責任において自由に旅することにあります。航海とは、目に見えない辿るべき一本の道を想像力で描き、イメージ通りにトレースしていく作業のようなもの。生と死が渾然一体となった海と空だけのがらんどうな空間で、人は無限の想像力を発揮する。つまり、大自然が与えてくれる最高の恵とは、人間の限りない想像力を引き出してくれるところにあるのです。そこで、辿るべき航路を自分の頭で考え航海する。という一連のプロセスをゲスト自らが行うことで、かつて海を渡った人たちと同様のスリルと興奮、緊張感が入り交じる海旅本来のおもしろさを提供したいと思ったわけです。
むろん、道を見極める航海術の奥義は一夜にして学べるものではありません。ぼくたちの経験から言えば、なんとなく感覚を掴むまでに3000時間。確実なものにするために1万時間の経験が必要となります。1万時間というのは全ての業界でプロとしての入口に立つため、あるいは一つの物事を見極めるための定説とされている時間でもありますが、そのためには一日6時間×年間180日海に出たとして10年の時間を要します。漁師の規定が年間150日ですから、180日というのは相当なものですが、海を理解し、感覚を磨くためには本来そのくらいの年月が必要だということです。
実際、ぼくたちも1万時間を達成するのに9年の歳月を要しました。はじめは海が遠かったし怖かった。1km先の対岸まで必死で漕いだことを今でも鮮明に覚えています。でも、その遠くて怖かった海が今では庭のような身近な存在です。正に「自由を手に入れた」という感覚。つまり、カヤックが「漕げる」ということと「海を自由に旅する」ということは別次元のものだということ。そして、海を旅する本当の自由とは ”Freedom" ではなく ”Liberty” つまり「勝手気ままな自由」 という意味ではなく「自ら勝ち取る自由」のことだと感じたのです。
広大な海に広がる「自由への扉」を開くための見えざる鍵。
その鍵を見つけるためには、奇才チャールズ・チャップリンの言葉が役に立つ。
『人生に必要なものは、勇気と想像力と、そして少々のお金。』